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【453】 若い監督   烏城不明門 様     2018/06/17(日) 14:25
楽天の梨田監督が辞任して、平石ヘッドコーチが監督代行になりましたね。
平石さんは38歳。
代行とはいえ、30代の人が指揮を執るのは、久々ではないでしょうか。

ただ、一昔前は、元阪急の上田さんが37歳、
元広島の古葉さんが39歳と若くして監督になった人もいました。

星野さんも、中日の監督として采配を振るったのは40歳になってからですが、
就任記者会見の時点では、39歳でした。

衣笠さんが連続試合出場の新記録を達成した時は、中日戦で、
星野さんは、相手チームの監督として、花束を渡しているのですが、
当時現役選手であった衣笠さんより、当時監督であった星野さんの方が、
3日だけとはいえ、後に生まれているのが面白いです。

阪神だと、村山さんが33歳で監督になってますね(選手兼任)。
この頃は、他の球団でも、野村さんや稲尾さんが、若くして監督に就任し、
「青年監督トリオ」と呼ばれたようです。
西鉄の稲尾さんの前の監督の中西さんは、28歳で監督になっています
(中西さんは、後に阪神の監督も務めていますね)。

こうしてみると、昔は、若い監督も多かったようですね。
しかし、その時代でも、より年長のコーチもいたはずで、
そうした人たちを差し置いて、監督に指名されるというのは、
やはり、それだけの魅力を持っている人物なのかなと思います。

村山さん、中西さん、野村さん、稲尾さんといった人は、選手としての実績が
大きかったというのも、監督に選ばれた理由かなとも思えます。
古葉さんも、彼らのように球界を代表する選手とまではいかないにせよ、
カープの中では、主力選手の地位を占めていました。

そうした人たちと比べて、選手実績が乏しい例として、
上田さんの名前がよく挙げられますが、
平石さんも、それに近いなと感じます。

平石さんは、最も多く試合に出場した年でも35試合、
最もたくさん打席に入った年で64打席で、
これは、上田さんの66試合・184打席をも下回ります。

それにもかかわらず、この若さでヘッドコーチの地位にあったというのは、
コーチとしての能力は、球団から高く評価されていたのだろうなあと思います。
どんな戦い方をするのか、注目してみたいと思っています。


【452】 レス   ゆうじ(管理人) 様     2018/06/03(日) 14:16
齋藤さん、いつもありがとうございます。
お祝いのメッセージ、ありがとうございます。
早い更新を売り物にしていたホームページですが、最近は、更新が遅れてしまうことも多いですね。
新聞配達をしていると、パソコンに向かったまま居眠りしてしまうこともあります。
以前は、更新できるまで起きて頑張るということも多かったですが、現在は早朝からの仕事なので、早く寝ないと仕事に影響しますからね。
でも、ぼくのホームページを役立ててくれる人の居る限り、できる限り早い更新ができるよう、頑張りたいと思います。
これからも、よろしくお願いします。


【451】 19周年おめでとうございます。   千葉の齋藤 様     2018/06/01(金) 13:22
少々遅れましたが、お祝い申し上げます。

大相撲のどこよりも早い情報など、ゆうじさんならではの記事をいつも楽しみにしています。

そして、掲示板に集う方々との出会いも、有意義です。

これからも末長く続けられますよう。


【450】 まとめレス   ゆうじ(管理人) 様     2018/05/30(水) 15:14
烏城不明門さん、いつもありがとうございます。
お祝いのメッセージ、ありがとうございます。
レスを書きそびれている間に新たに投稿していただき、恐縮しています。
ぼくは、横綱を倒した力士は、全て殊勲賞に該当すると思います。
でも、横綱を倒した力士が複数居る場合は、「横綱を多く倒した力士」「成績の良い横綱を倒した力士」「横綱を倒し、自身も好成績だった力士」等が基準になると思います。
でも、今回の場合、「鶴竜関が優勝できなかった場合は、該当者なし」ということになっていたのは不可解でした。
成績の良い横綱を倒した松鳳山関、横綱を倒して自身も好成績だった栃ノ心関も居たので、該当者は居たはずですがね。
以前から思っていたのですが、三賞は、千秋楽の全取組(決定戦も含む)が終了してから、選考委員会を開催するべきです。
鳥谷選手につきましては、確かに気の毒ではありますが、やはり野球はチームプレイなので、チームの成績よりも個人の記録が優先的になってはいけないので、仕方がないと思います。
衣笠選手の記録は破れませんでしたが、それに近づけただけでも偉大です。


NAOさん、いつもありがとうございます。
お祝いのメッセージ、ありがとうございます。
開設記念日というと、過去は、日付が変わるまで起きていて、日付が変わると同時に記念バナーと御礼のメッセージをアップして寝ていましたが、今は新聞配達をしているため、早寝早起きをしなければならないので、少々遅れてアップしています。
NAOさんも、午前3時47分とは早いですね。
って言うか、そのあと寝られたのですか?
いずれにせよ、このような時間帯に投稿していただき、嬉しいです。


ガーネット姫さん、いつもありがとうございます。
お祝いのメッセージ、ありがとうございます。
花と言えば、以前、倉敷チボリ公園があった頃、季節によっていろいろな花が見られ、よく写真を撮って帰っていました。
そのアプリは、使ったことがないです。
最近は、他にも様々なアプリがありますが、使ったことのないものも多いです。
インターネットを初めて20年、ホームページを開設して19年のぼくですが、まだまだインターネットを使いこなせていないですね。
栃ノ心関は、緊張していたようですが、特に失敗はせず、立派に向上を述べることができました。
膝の大怪我を克服した、努力の新大関です。
成功を祈りましょう。


なみさん、いつもありがとうございます。
お祝いのメッセージ、ありがとうございます。
最近、オユンナのコンサートが岡山や香川でありませんね。
1999年には、倉敷市民会館で開催された数日後に、岡山シンフォニーホールで開催されたこともありました。
先程、オユンナの公式ホームページのスケジュールを見てみましたが、未だに2年前のスケジュールが載っていました。
もっともっと、オユンナのコンサートを見たいですね。


みなさん、本日は、開設記念日のお祝いメッセージをありがとうございました。
最近は、ホームページの更新が遅れてしまったり、ブログの更新がなかなかできなかったりしていますが、今後も頑張って続けていきます。
今後も、応援をよろしくお願いします。


【449】 祝19周年   烏城不明門 様     2018/05/30(水) 09:42
連続書き込みになってすみませんが、19周年おめでとうございます。
これからも、よろしくお願いします。


【448】 おめでとうございます♪   なみ 様     2018/05/30(水) 08:59
いつも有り難うございます!これからも頑張って下さいネ♪

【447】 おめでとう   ガーネット姫 様     2018/05/30(水) 08:06
長い間 コツコツと運営した結果の今日ですね。
おめでとう。
色々な毎日が色々な年を作ります。
今年は花の巡りが早いです。
もう菖蒲が家々の庭に咲き、撫子まで咲いていて
驚きました。
出かけた先で見つけた名前の知らない花を写真に収めて
アップするとAIが名前を教えてくれるアプリがあるそうです。
ついでに知らない方が教えてくれたり、
「いいね」がきたり・・・。
パソコンを始めた頃はそんな広がりなど想像もしなかったです。
世の中が様々に変化しまた進化しても人が生きていく事は変わらない。懸命に生きましょう。
今日の栃ノ心の口上が楽しみです。


【446】 お久しぶりで〜す!&祝・19周年   NAO 様     2018/05/30(水) 03:47
(^^ ;))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))

Ciao! NAOで〜す! お久しぶりで〜す! (^-^)ノ

★ゆうじさんへ...

 ホームページ開設19周年…おめでとうございます!

 ■\( ^-^)/゜・*【祝・19周年】*・゜\(^^ *)/▼

 それでは…この辺で…ciao! (^^)/~


((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((; ^^)


【445】 殊勲賞   烏城不明門 様     2018/05/29(火) 22:42
松鳳山関が勝ち越したのに、鶴竜関が優勝できなかった場合も、殊勲賞を見送られるという条件でしたが、ゆうじさんは、この点は、どう思われましたか?
僕は厳しいなあと感じました。
準優勝の横綱に勝ったのなら、立派な殊勲じゃないかと思うのですが。
8勝では、「優勝した横綱に勝つ」など、より特筆性のある条件が求められるのでしょうか。

話は変わりますが、鳥谷選手の連続試合出場記録が途切れましたね。


【444】 レス   ゆうじ(管理人) 様     2018/05/21(月) 11:19
烏城不明門さん、いつもありがとうございます。
「ザ・ベストテン」の得点の出し方は、貴殿が書かれている4つの要素をコンピューターにかけてはじき出されるらしいですが、ぼくも詳しいことは分かりません。
でも、たとえ4つの要素で全て1位でも、全体的にレコード売上やリクエスト(有線、ラジオ、ザ・ベストテン 全て含)が少ない場合は、満点にはならないのではないかと思います。
即ち、4つの要素全て1位で、尚且つ売上やリクエストが多い(例えば、ある基準があり、その基準を超えている)曲が満点になるような気がします。
もちろん、ぼくの憶測なので、必ずしも正しいとは言えませんが。

ぼくが「ザ・ベストテン」の順位を記録していたことは、当ホームページの「ザ・ベストテン」のページでも触れていますが、得点までは記録していませんでした。(一時期、記録していた時期もありましたが。)
一度、発表された順位に勝手に得点を付けて(1位=100点、2位=97点、3位=94点、4位=91点、……、20位=43点)、年間ベストテンを作ってみたことがありました。
番組で発表された年間ベストテンと、ほぼ同じ順位になりました。(あくまで“ほぼ”ですが。)


【443】 9999点   烏城不明門 様     2018/05/20(日) 16:20
西城秀樹さんのご冥福をお祈りいたします。

9999点。
僕は、リアルタイムでは見ていないのですが(当時は幼稚園児でした)、
小学生高学年の時、友人とベストテンの話をしていて、
「昔、西城秀樹がYOUNG MANで9999点を出したことがある」
と言われたのを、ゆうじさんのブログを読んで思い出しました。

集計方法については、僕は詳しくは知らなくて、今、検索してみたのですが、
レコード・ハガキ・有線・ラジオ全ての要素で1位だと9999点になるのですか。

友人の話を聞いてから今までずっと、秀樹さんのYOUNG MANが
唯一の9999点だと思っていたのですが、集計方法を聞くと、
他の曲による記録もあり得なくはない話のような気もしました。
実際のところは、どうだったのかご存知でしたら、教えてください。


【442】 レス   ゆうじ(管理人) 様     2018/04/28(土) 15:03
烏城不明門さん、いつもありがとうございます。
衣笠祥雄選手は、広島ファンに限らず、誰もが偉大さを認める選手ですね。
今年の鳥谷選手の場合は、ほとんどスタメンから外れ、代打で登場させてなんとか連続出場を維持している状態ですが、衣笠選手はほとんどスタメン出場で、尚且つ試合の終盤まで出場しての連続出場なので、鳥谷選手とは訳が違うと思います。
尤も、現在のぼくの考え方だと、1986年あたりは「若手に切り替えなければ駄目だ」などと言うかもしれませんが。

昭和50年代の後半頃だと思いますが、阪神の池内投手が2日連続で衣笠選手にデッドボールを当ててしまい、2日目は、衣笠選手が怖い顔をして池内投手に歩み寄って行ったのを記憶しています。
池内選手は、応戦せずに走って逃げて、衣笠選手は、睨みつけたまま何かを言って、元の位置へ戻って行きました。(もしかしたら、池内投手ではなかったかもしれません。)
いつもは、デッドボールを受けても冷静だった衣笠選手でしたが、2日連続だったので、つい冷静さを失ったのでしょうね。
「鉄人」とは言われていますが、衣笠選手も人間ですからね。

1985年のある日、阪神戦で、三塁にランナーを置いて衣笠選手に打順が回った時、ホームランやタイムリーではなく、スクイズで三塁ランナーを生還させたことがありました。
引退後、某番組で衣笠選手が「あの年の阪神戦は、点が取れそうな時は、どんな方法でも、たとえ1点でも確実に取って行かないと勝てなかった。それほど強かった」と振り返っていました。
その番組が放送された時は、阪神が低迷していた時でしたが、あの偉大な人物が阪神の強かった頃を称えるように言ってくれて、嬉しかったです。

最後に余談です。
衣笠選手は、広島に入団した頃は捕手でしたね。
広島の捕手と言えば、水本勝己二軍監督もそうでしたが、水本二軍監督は少年時代、うちの近所に住んでいて、子供会が一緒で、ソフトボールを一緒にプレイしたことがありました。
その頃から、打撃、守備共、ぼくより数段上でした。


【441】 衣笠祥雄さん   烏城不明門 様     2018/04/26(木) 20:00
衣笠さんのご冥福をお祈りいたします。

衣笠さんといえば、連続試合出場記録ですが、
鳥谷選手が、どこまでこの記録に迫るか注目しています。
とはいえ、今年の成績だと、いつまで続けられることか。
無理に伸ばしても、記録の価値を落とすだけですし。

鳥谷選手、去年はなかなかの成績で、
この調子を、あと3年続ければ(去年も含めて)、
衣笠さんの記録を抜けるなあ、と思いもしましたが。

鳥谷選手に良くないことを書いてしまいましたが、
衣笠さんも、1973年・1986年・1979年の前半など、
低打率にあえいだ年もあり、その時は批判されたようです。
1986年は、当時広島県に住んでいた僕(当時小学生)は、
実際に周囲の大人の批判的な声をよく聞きました。

広島という土地柄(広島市からは遠い場所なのですが)、
近所のスーパーにテレビが置いてあって、
日本シリーズが放映されていたのですが、
それほど野球に詳しそうなわけでもない中年女性までが、
打席に立ってる衣笠さんを見て、
「この人が打たんのよ」と言っていたのを今でも覚えています。

衣笠さんは引退した時点で、三振が球界1位、併殺打がセ・リーグ1位でした。
盗塁王に1回なっている代わりに、盗塁死1位に3回もなっていたり、
記録を調べると、う〜ん…と思わされるところの多い選手でした。

いや、長く続けたからの記録ともいえるのでしょうけど、
他の名選手と比べると、悪い記録も目立ってしまうというか。
そういう部分が、また好きでもありますが。

カープが強かった時代は、よく飛ぶボールが使われていて、山本浩二さんが、
これにうまく対応し、ホームランも打率もグンと数字を伸ばしたのに対して、
衣笠さんは、ボールが飛ばない時代と、あまり成績が変わらない感じでした。
結果、カープが弱い時代は、衣笠さんが4番のことも多かったのですが、
何度も優勝する時代になると、その座を山本さんに譲ってしまいました。

ならば、不動の5番とかかというと、そうでもなく、
外国人や打率の良い水谷実雄さんがいて、層が厚かったためでしょうが、
下位を打ったり、2番に入ったりと、色んな打順をこなしました。

その結果、犠打もまあまあの数になり、
1982年には、29ホーマー打つかたわらで、犠打も12記録しています。
MVPと打点王を獲得した1984年も、102打点のかたわら6犠打マークしています。

打順の話に戻すと、その1984年、開幕時は6番でした。
もうひとつチャンスに弱いというイメージもあってか、
トータルでの打撃の実績では劣る高橋慶彦さんや長内孝さんに、
クリーンアップの座を譲る形でのスタートでした。
打撃が好調で、シーズン途中で5番に昇格、
更には、山本浩二さんの不振もあって、4番も結構な試合数務めました。

取り留めもなく、長くなってしまいましたが、好きな選手だったものでお許しください。


【440】 レス   ゆうじ(管理人) 様     2018/04/15(日) 15:17
烏城不明門さん、いつもありがとうございます。
ぼくが魚辻さんへ行ったのも、10年以上前だったと思います。
当時、当ホームページの掲示板によく投稿してくれていた人が、「青春18きっぷで鶴賀へ行ってきた」と書き、写真も投稿してくれていました。
その投稿を見て、ぼくも行ってみようと思いました。
ぼくは、店の中には入らなかったので、何も買いませんでしたが、写真を撮りました。→

ヒゲ辻選手は、盗塁阻止率は高かったようですね。
やはり、「肩が悪い」というのは、本人の思い込みだったのでしょうか?
それとも、その時代に、他の球団に無類の強肩捕手が居て、その人と比べて「弱肩」と感じていたのでしょうか?

衣笠選手や松原選手等は、捕手から内野手に転向して成功しましたが、そうでない選手も居ましたね。
代表的な例は、香川選手(ドカベン)です。
彼は、入団7年目に三塁手に転向しましたが、守備よりも打撃不振が深刻となり、二軍落ちも経験し、そのシーズンの途中から捕手に戻っています。
大変なポジションでも、慣れ親しんだポジションの方が良かったのでしょうね。

今、テレビでプロ野球中継を見ながら、レスを書いています。
ぼくは、現在阪神で一軍に登録されている3人のうち、2人を内野か外野に転向させたいと思っています。



【439】 魚辻   烏城不明門 様     2018/04/14(土) 18:45
ゆうじさん、レスありがとうございます。
ヒゲ辻さんの実家、敦賀の「魚辻」さんですね。
僕も、もう10年以上前になりますが、行ったことがあります。

塩うにを買いました。
旅番組の福井の特集で、東尋坊で塩うにを売っているのを見て、
お酒と合わせて食べてみたいと思ったのです。
番組で紹介された塩うには5000円で、それだと手が出なかったのですが、
魚辻さんでは、2200円くらいで売っていたので、この値段ならと購入しました。
恐らく、番組で紹介されたものより、量が少なかったのだと思います。

魚辻さん、検索してみたら、5年前には王さんも店を訪れたようで、
店主(ヒゲ辻さんの弟さん)と王さんの2ショット写真がありました。
王さんは、小鯛の笹づつみを購入したそうです。
今度、敦賀に行く機会があったら、それを買おうと思いました。

ヒゲ辻さんの盗塁阻止率を調べたのですが、
その数字を見る限り、田淵さんには及ばないものの、
なかなかの高い数字を出しています。
盗塁阻止率が記録として残っているのは、
ヒゲ辻さんが、近鉄に移籍した1970年からなのですが、
レギュラーだった2年間は、いずれも阻止率4割台で、パ・リーグ1位の成績でした。
地肩はそれほどでもなく、送球の正確さゆえの結果なのかも知れませんが。

田淵さんが外野に転向していたのは、1971年ですね。
記録を調べると、この年、外野56試合、一塁55試合、捕手1試合でした。
ダンプ辻さんは、この年、捕手として全試合に出場したのですね。
ただ、翌年、田淵さんを捕手に戻したのは、
ダンプ辻さんの打撃が物足りなかったからでしょうか(この年、打率.193でした)。
この時代も、松原さんとか衣笠さんとか、打撃の良い捕手で野手に転向した人は多いですね。

なお、ヒゲ辻さんが3番を打った試合、5番はダンプ辻さんでした。
1969年6月18日・中日戦で、4番はカークランドさんでした(この年、4番は完全固定)。


【438】 レス   ゆうじ(管理人) 様     2018/04/14(土) 13:40
烏城不明門さん、いつもありがとうございます。
ぼくは、当掲示板やブログで、捕手のリードについてよく話していますが、実は、プロ野球を知った頃から捕手のリードについて関心があったわけではないのです。
捕手のリードを重視し、うるさく言うようになったのは、1980年代の終盤頃からなのです。
木戸捕手が、1985年にレギュラーを獲得して阪神が優勝し、その後壁にぶつかって、嶋田捕手や山田捕手を使うようになった頃から、リードについてうるさく言うようになりました。
田淵選手が阪神に居た頃は、捕手のリードについてもよく分からず、捕手についても「バッティングが良くて、肩が良ければ使える」というような感覚で居ました。
というわけで、田淵選手が阪神に居た頃に、彼のリードについて考えたことはありませんでした。
田淵選手は、高校時代、外野の守備練習中、バックホームした球が大暴投となり、バックネットの上部にボールが食い込んでしまい、監督はその場で田淵選手を叱りましたが、「あの位置から球を投げ、バックネットに食い込ませるとは、暴投とは言え、かなりの強肩だ。捕手に転向させれば、成功するかもしれない」と考え、それ以来、捕手に転向させたという話は、ぼくが小学校の頃に聞いたことがありました。
田淵選手が捕手になったのは、リードよりも強肩がきっかけだったようです。
でも、リードの方も、全然駄目というわけではなかったと思います。
江夏投手が、オールスターで9人連続奪三振の記録を作った時、リードしていたのは田淵捕手だったらしいです。
そういえば、田淵選手は、一度外野に転向していた時があったと思います。
広島の外木場投手の剛速球を頭部に受け、しばらく離脱し、その大怪我から復帰したばかりの頃は、主にライトを守っていたと思います。(捕手は、ダンプこと辻恭彦選手。)
もし、そのまま外野(または一塁)に正式に転向していれば、田淵選手は、打者としてもっと実績が残せたでしょうね。(山本浩二選手にホームラン数を抜かれなかったかもしれません。)
田淵選手のリードについてもよく分からないくらいですので、ヒゲ辻選手になると、尚更分からないですね。
でも、「リードが良く、投手陣からの信望が厚かった」という話は、何かで聞いたことがあります。
肩はあまりいい方ではなく、ランナーが盗塁した時、すぐに送球できるように、ミットをはめていない右手で球を捕って投げようとして、右手を骨折したというエピソードもありますね。(実際に弱肩だったのか、本人が思い込んでいただけなのかは、よく分かりません。)
3番・センターでスタメン出場したことがあるという話は、全く知りませんでした。
ちなみに、ぼくは、ヒゲ辻選手の実家の魚屋さんの前まで行ったことがあります。


【437】 田淵捕手と辻捕手   烏城不明門 様     2018/04/12(木) 19:00
前から質問したかったのですが、「捕手」としての田淵さんの能力は、
ゆうじさんから見て、どのように映っていたでしょうか?
盗塁阻止率は、若い時は5割を超えることも多く、強肩だったようですが、
リードやフィールディングなどは、どうだったのでしょうか?

ヒゲ辻こと辻佳紀さんの本では、田淵さんのリードや守備を酷評していましたが、
ポジションを争い、奪われた当事者の発言なので、割り引いて考える必要がありますね。

ヒゲ辻さんは、どうして田淵が入団してすぐにファーストにコンバートしなかったのかと、
本の中で、当時の後藤監督の判断を批判していますが、
それは、ファーストには打撃の良い遠井さんがいるから、
田淵さんが捕手として問題なくこなせるならば、
打撃陣の厚みを考えれば、そうなるんじゃないかと……

なお、この田淵さんが入団して、すっかり出番が少なくなった
1969年のヒゲ辻さんですが、どういうわけか、1試合だけ「3番センター」で出場しています。
打撃が好調だったわけではなく、この試合の時点で打率1割台で、
どういう理由で3番に起用されたのだろうと不思議に思えてきます。


【436】 レス   ゆうじ(管理人) 様     2018/03/24(土) 16:14
齋藤さん、いつもありがとうございます。
またまたレスが遅れまして、申し訳ありません。
「修」の部首は、「にんべん」だと思い込んでいました。
「漢字源」で調べてみても、「にんべん」になっていました。
辞書に書いてあるからと言って、必ずしも正しいとは限らないということですね。
ちなみに、「脩」の部首は「にくづき」になっていました。
ぼくは、「脩」は「修」の旧字体だと思っていましたが、そういうわけではないようですね。
今回調べてみて、初めて知りました。
知っているつもりでも、まだまだ勘違いも多いと実感しています。


【435】 部首。   千葉の齋藤 様     2018/03/20(火) 18:51
レスありがとうございます。

部首、難しいですね。「医」など、常用漢字の新字体では完全に部首が消えています。

おっしゃるとおり、漢和辞典によっては、本来ない部首を新設したり、便宜的にほかの部首に移したりしていますね。

たとえば「修」は、本来「彡(さんづくり)」が部首ですが、ほとんどの漢和辞典で「人(イ・にんべん)」の中に入れています。

いずれも、そうやって検索しやすくしているのでしょう。


【434】 まとめレス   ゆうじ(管理人) 様     2018/03/17(土) 11:00
齋藤さん、いつもありがとうございます。
レスが遅くなりまして、申し訳ありません。
ぼくは、ご紹介の漢和辞典は持っていませんが、学研(現・学研ホールディングス)から出版されている「漢字源」という漢和辞典を持っています。
学校に行っていた頃に買ったものではなく、20代半ば頃に買ったものです。
中学時代は、旺文社の「標準 漢和辞典」というのを使っていました。(姉から譲り受けたもの)
漢和辞典もピンからキリまであり、子供向けの辞書は、引きやすいように作られているようですね。
例えば、「くさかんむり」「しんにょう」「さんずい」「りっしんべん」「こざとへん」「おおざと」等が3画になっていたり、正式な部首でないものが載っていたりもしますね。
ぼくが持っている漢和辞典は、上記の部首は、目次では3画の所にも載っていますが、実際にそれらの部首が載っているのは基本形の画数の所です。(「艸」=6画、「辵」=7画、「水」=4画、「心」=4画、「邑」=7画、「阜」=8画)
巨人の「巨」の部首ですが、ぼくが持っている「標準 漢和辞典」では「工」となっていますが、「漢字源」では「二」となっています。
漢字能力検定のテキストでは「工」となっていました。
どちらが正しいのでしょうね。
「医」などの部首である「匚」でないことは確かですが。

烏城不明門さん、いつもありがとうございます。
レスが遅くなりまして、申し訳ありません。
ロサリオ選手は、MLB時代は捕手としての出場が多かったらしいですが、守備率は悪く、捕手としての能力は低かったと聞いています。
2015年に打撃不振に陥ったこともあり、一塁にコンバートされたようです。
その年は、三塁での出場もあったようですが、阪神では捕手や三塁での出場はまず無いでしょうね。
ディアズ選手は、アメリカでは外野手の経験もあるようですね。
捕手をしていたのも、記憶しています。
二塁に送球した際に肘を骨折し、その年のうちには復帰できず、翌年も残留していましたが、シーズン途中に解雇されましたね。
若菜捕手は、阪神を退団してアメリカへ行き、シーズン途中に大洋からお呼びがかかり、最初は空き番だった「9」を付けていましたが、その後、銚子内野手と背番号を交換して、念願の「22」を付けることになりましたね。
ちなみに、若菜捕手たちが阪神に移籍したトレードは、「2人対4人のトレード」とよく言われていますが、実際は、田淵選手ひとりに対して4人が移籍し、古沢投手は金銭トレードだったという説もあります。
それが正しいなら、「2人対4人+金銭のトレード」と言う方が妥当ですね。




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